▲旅で撮り収めた写真が本になりました!絶賛発売中!



2016•1•13出発 〜 2017•4•13帰国 《37カ国》  旅のルート

日本→グアテマラ→キューバ→メキシコ→ペルー→ボリビア→アルゼンチン→チリ→アルゼンチン②→チリ②→アルゼンチン③→パラグアイ→ブラジル→アメリカ→イギリス→オランダ→ドイツ→ポーランド→チェコ→オーストリア→ハンガリー→ポーランド②→エストニア→ラトビア→リトアニア→ポーランド③→アイスランド→スペイン→ポルトガル→スペイン②→モロッコ→南アフリカ→ナミビア→ボツワナ→南アフリカ②→マダガスカル→南アフリカ③→ジンバブエ→ボツワナ②→ザンビア→タンザニア→ケニア→アラブ首長国連邦→インド→ネパール→ベトナム→台湾→日本



2016-02-11

世界遺産都市、ハバナの町を歩く

2日目のハバナ。


カーリーの家で豪華な朝食をいただきました!

お腹いっぱいになった後は、本来予約していたアニータの家の部屋が空いたそうなので荷物を移動です。

アニータの家も1泊2日朝食付きでCUC30(一人約1.875円)。

シャワートイレ付きの個室で、お部屋も可愛かった。

アニータの家に泊まりたかった理由として、ここに来る日本人たちが、たくさんのキューバ情報をノートに綴っていてその情報収集をしたかったというのも一つ。

日本人が連日泊まっているので、最新情報が記載されており、インターネットですぐ調べることができないこのキューバの地で、とても有難いこと。

私たちは、ハバナやこれから行くトリニダー、バラデロなど他の町の交通機関やレストラン情報をここで収集しました。

午後からはハバナの町を散策。



ハバナは首都だけあって多くの観光客で活気付いていました。
タクシーも40~50年代のクラシックカー。呼び込みをする運転手さんの手には葉巻。


子供たちは、みな笑顔。

かつてのキューバは、ターバンに派手なドレスをきた女性たちで溢れてました。

これは演出でした。とある観光客がさんざん写真を一緒に撮って楽しそうな雰囲気だな〜なんて見ていたら、お金を請求していました。

でもお土産やさんにもありました。

キューバ娘。お土産のモチーフになるぐらい、さっきの女性のようなスタイルの人たちがたくさんいたんでしょうね。


ハバナの中でも旧市街地は、私が生まれた1982年に世界遺産に指定されており、スペインの植民地時代であった19世紀やそれ以前に財力をつぎ込んで建てられた迫力ある建造物が建ち並んでいます。


こんな建物もありました。


キューバ革命で名を残した3名です。

いかにキューバにとって重要人物であるかが分かる建物とも言えます。

右からキューバの英雄となったチェ・ゲバラ。誰しもが一度は耳にしたことのある名前であろう人物です。

アルゼンチン人で喘息持ちだった彼は、医者を目指してブエノスアイレス大学の医学部へ進学。在学中に、ブエノスアイレスからパタゴニアまで南下し、そこから南米を北上し、コロンビアをゴールとする放浪の旅に出ました。帰国後、医師の資格を得て、再度放浪の旅に出ることに。

その時メキシコで出会ったのが、生涯の盟友でもあり、この建物の真ん中にいるキューバ人の青年弁護士フィデル・カストロでした。キューバ革命の最高指導者です。
フィデル・カストロはキューバ国内で反政府運動に参加していましたが、厳しい弾圧を受けてメキシコに亡命中でした。その時チェ・ゲバラと出会いました。のちにバティスタ軍事独裁政権が君臨するキューバへ共に向かい、1959年にキューバ革命の成功に導いたのです。

そして左がその弟であり、当時キューバ革命の指揮官でもあったラウル・カストロ。兄のフィデルが初代国家首相を退いた後、現在のキューバ国家首相です。

キューバ革命とは一体?
19世紀ごろスペインの植民地だったキューバは葉巻や砂糖の通商で富を得るようになり、キューバ国内では次第に独立国家気質が強くなってきました。1898年に米西戦争が勃発、アメリカが勝利の結果、キューバはスペインの支配下から独立しアメリカの軍政下となりました。次第に1950年代のキューバは、電話や鉄道、土地すべての利権がアメリカ資本の手に渡り、経済支配し抑制。首都ハバナはマフィアの歓楽街となっていきました。しかもその頃のキューバの政府たちは、アメリカと仲が良かった独裁者バティスタ政権の言いなりに。支配する者同士で、闇の大金が動いていました。そのバティスタ軍事政権を打倒するために立ち上がったのが、フィデル・カストロをはじめとする同士82人。その巨悪に立ち向かうカストロに感銘を受けてチェ・ゲバラは彼らに同行することを決意し、共にバティスタ政権を倒して革命を成功させました。

アルゼンチン人であるチェ・ゲバラは、母国でないにも関わらずキューバの為に全うした人物。
キューバ人にとってチェ・ゲバラは英雄の存在となりました。

至る所で、チェ・ゲバラを見かけました。

成功を手に入れた新生キューバは、国民が皆文字を読めるように教育を無償化し、医療も無料化にしました。

と同時にアメリカからの物資提供や資本が一切途絶え、キューバとアメリカは国交断絶。
キューバは物資不足となりながらも、社会主義にすることでアメリカからの支配から国民を守り、自国の独立を確立していきました。

なので物資不足のキューバでは、革命が起きる前のアメリカのクラシックカーを現役で乗っているのです。勝手に売買することができない為、今でも多くの車が走っています。


道端でこんな風景もよく遭遇しました。およそ60年前の古い車、故障しては修理を繰り返し大切に乗り続けてきたんだろうなぁ。


アメリカ企業であるスターバックスもなければ、マクドナルドも無い。コカコーラも無いので、キューバ産のコーラです。


そしてこのハバナは、アメリカの有名な作家アーネスト・ヘミングウェイが移り住み、1940年から約20年間この地で執筆しながら過ごした場所でもあります。クラシックカーはその当時から走っていたのかと思うと、見るたびにワクワクしました。

彼が滞在していたホテルがあるオビスポ通りには、ヘミングウェイの本を飾ってある本屋さんもありました。

ちなみに、Mitsuさんの愛用している腕時計はヘミングウェイが愛用していたものと同じ、ROLEXの1951年製バブルバック。今となってはヴィンテージウォッチです。もちろん、大切に日本に保管しています。

薬屋さんは、なんと量り売り。

瓶にそれぞれの薬の粉がはいっているようです。並んでる様は圧巻でした。


私たちは、このオビスポ通り沿いで買い食いしながらお腹を満たしていきました。

このピザはCUP5(約25円)

CUP払いのお店は安い。

しばらく歩いていると、何やら地元のキューバ人が空っぽのペットボトルを持って並んでいます。

何だろう。

しばらく様子を伺っていると、大きなタンクから茶色い液体を入れている。

もしかしたら生ビールかもしれない!!

ビール好きなMitsuさん、ちょうど水を飲み干した空っぽのペットボトルを持っていたので、並んで入れてもらうことにしました。

見よう見まねで、他の人が渡しているCUP1(約5円)を渡して。

入れてもらいました。

わくわくしながら飲んでみると、生ビールではありませんでした…

正解はコーラじゃありませんか!!

少し炭酸が抜けたような甘いコーラ。パンチは全然ないけど、キンキンに冷えてて美味しい!これで5円は安い。


そしてチョコレート博物館では、チョコレートドリンクCUC1(約125円)にチョコサンドイッチアイスもCUC1。チョコ一粒CUC0.15(約19円)で計288円。

しばらく甘い物を食べていなかったので大満足でした。



そして、明日ハバナから約320km離れた町「トリニダー」へ行くためのバスチケットを探しに行くことに。

私たちが購入したのは、旧市街地にある高級ホテル「Hotel Inglaterra」のツアーデスクにてバスチケット一人CUC27(3,375円)を予約しました。

所要時間6時間のバスの旅になるそうです。
バスチケットは満席になる場合も多々あるそうなので、無事購入できて一安心。

再び、ハバナ市街地を観光することに。

これは、アメリカのホワイトハウスをモデルにした旧国会議事堂。アメリカの支配を受けていた20世紀初頭のキューバを物語る建物だそう。ちょうど修復の工事を行っていました。


ハバナ市街に面している海にも行きました。

地元の人の憩いの場。


せっかくハバナに来たのだから、ラテン音楽にモヒートを楽しみたい!
キューバは至る所で生演奏をしている人たちがいます。

日も落ちた頃、私たちはオビスポ通り沿いに戻ってレストランバーに入りました。




もちろんモヒートを頼みました。

ミントが爽やか〜。

ここに来る人たちは、ほとんど皆モヒートを頼んでいて、バーテンダーのお姉さんもひっきり無しにお酒を作って忙しそうでした。

これでCUC1.5(約190円)!

お客さんも大盛り上がりでした。

音楽を楽しんだ私達は、アニータの家に帰宅しました。

あっという間のハバナ観光。
明日は移動です。


casa   ESTRELLA   Anita y Jorge
Calle   ESTRELLA  #62  piso4   E/Angeles y Aguila  Centro Habana



Yoko.



▼その他の世界一周情報はこちらから










0 件のコメント :